📖 Susan M Akram, Michael Lynk, ‘Arab-Israeli Conflict’, Max Planck Encyclopedias of International Law, last updated May 2011
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国際連盟の委任統治制度
- 第一次世界大戦前のオスマン帝国による統治:パレスチナの人口は約69万人、その85〜90%がパレスチナ系アラブ人(1914年のオスマン帝国の国勢調査)
- シオニスト運動の高揚:第一次世界大戦前のヨーロッパで広まった反ユダヤ主義への対応として、パレスチナにユダヤ人国家を建設してこそ、ユダヤ人が民族として繁栄できると提唱
- スイス・バーゼルで開かれた第1回シオニスト会議(1897年):「シオニズムの目的は、ユダヤ民族のために、公法によって保証された故郷をパレスチナに建設することである」(The Basle Programme)。
- 第一次世界大戦におけるイギリスの三枚舌外交
- フセイン=マクマホン協定(Hussein-McMahon correspondence):イギリスは、アラブが連合国とともにドイツとトルコに対抗するならば、レバントのオスマントルコ領アラブ諸州の独立を支援すると約束
- 英仏サイクス=ピコ協定(Sykes-Picot Agreement):両国がオスマン帝国のレバント地方を双方の勢力圏に分割
- バルフォア宣言(Balfour Declaration):イギリス内閣は、シオニストの重鎮ロスチャイルド卿に宛てた書簡にて、バパレスチナにユダヤ人のための民族の故郷を建設することへの好意・努力を表明
- 国際連盟規約の採択(1919年):敗戦国であるドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国の植民地を国際連盟の委任統治領として再構成
- 📜 国際連盟規約(1919年)22条:委任統治(Covenant of the League of Nations (1919) Article 22: international trusteeship)
- 国際連盟理事会がパレスチナ委任統治を正式にイギリスに委任(1922年)
ピール委員会
- ユダヤ人のパレスチナへの祖国建設に向けた動き
- 委任統治に基づくイギリスの支援のもと、ヨーロッパ系ユダヤ人の移住が組織
- 1920年代から1930年代にかけてパレスチナのユダヤ人人口は1917年の56,000人から1931年には175,000人、1939年には460,000人に増加
- インフラへの委任統治領への資本流入・インフラへの委任統治領の投資により急成長
- アラブ高等委員会(Arab Higher Committee)(1936年):パレスチナ人の主要な政治組織として新たに結成、ユダヤ人移民の停止、ユダヤ人への土地売却の停止、民族の独立の要求、ゼネスト開始
- ピール委員会(Palestine Royal Commission [The Peel Commission])(1937年)
- 騒乱の原因を調査、パレスチナ人とシオニスト運動の矛盾した民族的願望を報告
- ユダヤ人国家とアラブ人国家への分割を提案、双方からの反発を招く
- ビルトモア・プログラムが(Biltmore Hotel)(1942年):ダヴィド・ベングリオンとチャイム・ワイツマンが出席したアメリカ・シオニストの臨時会議で採択、「パレスチナを新しい民主主義世界の構造に統合されたユダヤ人連邦として樹立する」ことを要望
国際連合のもとでの分割と衝突
- 英国政府が委任統治を終了し、この問題を国連に委ねる意向を表明(1947年)
- パレスチナ特別委員会(UNSCOP)(1947年)
- 多数派報告書:ユダヤ人とパレスチナ・アラブ人の国への分割を勧告
- 少数派報告書はパレスチナ人とユダヤ人がそれぞれ異なる自治機関を持つ連邦国家を提唱
- 国連総会決議によるユダヤ人国家とパレスチナ人国家への分割案(1947年)
4つの中東戦争
第一次中東戦争